私のステージ4からのサバイバー体験より自己免疫活性化療法を提唱、自分の治療は自分で決めることを支援します。
もしも緩和と言われたら・・・
私のがん相談は、末期がんステージ4から脱出して11年、闘病生活の中から効いたと確信した治療法について、丸山ワクチンについて紹介します。
治療の限界がきて、あとは緩和ですと言われても即納得できる人はいません。生への渇望、明日への執着を捨てきれる人はいません。試行錯誤、葛藤の末、ステージ4で余命告知を受けた私が寛解を得て社会復帰しています。進行がんで苦しんでいる仲間たちを支援するため、生き残るための最大の味方は自分の免疫(リンパ球)です。抗がん剤はあくまで脇役です。主役の自己免疫を元気にする方法について、私の闘病記録を集約した小冊子『ステージ4 余命告知から11年』を中心に話をさせていただきます。
2024年3月 70歳血尿での発症から14年。大学で手術を受けて12年。ステージ4の余命告知を受けて11年近い。
≪主治医と二人三脚≫
ステージ4の末期癌となり余命はわずか4ヶ月、よくて6ヶ月、抗がん剤が効けば1年。ここまで進んだがんを消そうとは思わない。願わくは現状で休眠してもらう方法はないかと、焦る気持ちの中で、安保 徹の免疫学講義、ケリーターナーのがんが自然に治る生き方に出会い、がんと戦うは抗がん剤ではなく自分の免疫(リンパ球)と知った。ここから直感に基づいた自己免疫の活性化療法を実践し、回復にこぎ着け11年を過ぎた。
主治医からのメッセージ
『右腎尿管一部膀胱摘出から化療入院、その後の肺、骨、リンパ節転移が治癒したのは、泌尿器科学会でも極めて稀な症例報告と思います。小生が考える治療内容に大田先生自身の猛勉強による治療方針に正直戸惑いの連続でした。結局その緊密な折衷案でここまで来られたのですからたいしたものだと思います。光畑直喜』
"助かった極意をよく聞かれる"
いずれも右半身の転移であり、左側には飛んでいないから、まだ初期と希望的解釈をし、気持ちを前にむけた。ウォーキング、エルゴ、ダンベル体操を日々継続し、筋肉量を測ってはヨッシャの気持ち。免疫を元気にしたのは気持ちの持ちようが大きいと思う。気分転換に心がけ、何があっても良い方に解釈するプラス思考!正直、転移を告げられた時はズシンと落ち込んだ。しかし、末期がんでも、まだ初期と自分に言い聞かせ、神戸の公的病院で適用なしと断られた粒子線を郡山の民間病院で受けた。粒子線で前立腺がんを治したゴルフ仲間の元気な姿は私の背中を押した。彼は97歳、未だにゴルフ、麻雀、車運転と老い知らず。私の大きな目標である。
極意のまとめ
がんを消そうと思わない、がんと共存し長生き
睡眠 有酸素運動 骨と筋肉を意識
減塩と大量の野菜ジュースを怠らず
自己免疫の主役、リンパ球数1500個以上を目標
がんを忘れる時間を増す
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